こんにちは。麗華 です。
今回は家に金運に繋がる行動をの中で一番効果的な、神社参りです。
金運アップの神社仏閣 7選
その後、お札は神社で配られるようになるが戦争を機に中断。1975(昭和50)年8月より、開運招福の『かえるお守り』として復活し、カエルの石像も奉納された。地元の人たちからは「かえるさん」と呼ばれ親しまれていて、財布に入れるのにちょうど良い大きさの『かえるお守り』のほか、ガマ池伝説縁の御神札『上の字御守(上の字様)』などの授与も行っている。金運や開運を願う人はもちろん、カエル好きにもすすめたい神社だ。
「こんぴらさん」の愛称で知られる、香川県の金刀比羅宮(本宮)の今宮。境内の至るところに御神紋の丸金マークが飾られており、とてもきらびやか。いかにも金運に御利益がありそうだ。1660(万治3)年、讃岐の国(現在の香川県)の大名京極高和が、領内の金刀比羅宮(本宮)のご分霊を勧請したのが起こり。1679(延宝7)年に江戸城の裏鬼門にあたる現在の虎ノ門に遷座した。江戸時代から、出世や商売繁盛、金運の神様として崇拝されおり、一度は没落した京極が復活して富を築いた際にも金刀比羅宮に祈願したという。本殿右側には、金運の神様「喜代住稲荷神社(きよすみいなりじんじゃ)」が鎮座しており、毎年、元旦から1月10日まで『福銭開運の御守』が授与される(詳細は公式サイトで発表される)。
春日局が祈願し、徳川三代目の家光が将軍になったとも言われている。まる金の文字がいかにも金運UPする感じ。
また、同じく本殿右側には、江戸時代、良縁を求める女性参拝者でにぎわったという「結(むすび)神社」がある。
3.小網神社
日本橋
ゲッターズ飯田さんも推薦する神社。
1466(文正元)年に悪疫から村人を守るために創建された。東京大空襲の戦火を免れた強運の神社だ。強運厄除けとして崇められていて、社殿に向かって左側にある銭洗いの井で金銭を清め、財布などに収めておくと財運を授かるとされており、「東京銭洗い弁天」とも呼ばれていている。
明治維新後の神仏分離令によって社寺は分離、小網稲荷神社として明治6年7月5日、村社に指定されました。現社殿・神楽殿は、大正期の明治神宮造営の工匠長・内藤駒三郎宮大工一門により、昭和4年に造営されました。その後の戦禍を免れ、現在は日本橋地区に残されている唯一の木造檜造りの神社建築となっています。特に、向拝に施された「昇り龍」と「降り龍」の彫刻は見事なもので、「強運厄除の龍」として拝されています。戦後の宗教法人化に伴い、名称は「小網神社」となりました。社殿・神楽 殿などは現在、中央区の文化財に登録されています。
4.愛宕神社
神谷町
1603年、慶長8年、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により防火の神様。
慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍家の寄進により、建立されました。祭礼などには下附金を賜るほど、当時の幕府の尊崇。
その後江戸大火災で全焼し、明治10年、9月に本殿、幣殿拝殿、社務所の再建した。
大正12年9月1日、関東大震災に、昭和20年5月24日帝都大空襲により太郎坊神社を残し社殿は焼失したが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至る。
愛宕神社に上がる急な石段は「出世の石段」と呼ばれている。
その由来は講談で有名な「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事にちなんでいる。
時は寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣の帰りに、ここ愛宕神社の下を通り、
折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。家光公は、その梅を目にされ、 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜた。
しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。歩いてのぼり降りをするのすら、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにない。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。家臣たちは、みな一様に下を向いた。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなり、もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおった。家光公。その者の顔に見覚えがない。
「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上した。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられている。
桜田門外の変で暗殺された井伊直弼が眠る豪徳寺には、膨大な数の招き猫が奉納されている。豪徳寺の招き猫は「招福猫児(まねぎねこ)」と呼ばれ、右手を挙げている。その愛嬌たっぷりの招福猫児が金運と商売繁盛を招くと言われているのだ。
豪徳寺の創建は1480(文明12)年。彦根藩藩主、井伊直孝(直弼の先祖で、当時の世田谷の領主)が、タカ狩からの帰りにこの寺の前を通りかかると、寺の飼い猫が中へ招き入れるような仕草をしたので寺で休憩をとることにした。すると激しい雷雨となり、猫のおかげで難を逃れることができたという。直孝はその後、豪徳寺へ多額の寄進をし、1633(寛永10)年に江戸幕府より井伊家に下賜され、同家の菩提寺(ぼだいじ)となった。
ゆるキャラ「ひこにゃん」は、豪徳寺の招福猫児がモチーフとなっている。
6.麻布氷川神社
麻布十番
938年(天慶の年 朱雀天皇の御代)、源経基(みなもとのつねもと)朝臣が天慶の乱(平将門)を鎮定しがため東征し際、
武蔵国豊島郡谷盛浅布冠の松(現・麻布一本松の地)に創祀・創建されました。
文武に秀でた経基は、鎌倉幕府の源氏将軍や足利将軍の武家政権を築いた清和源氏(せいわげんじ)の祖にあたります。
江戸城を築城した武将・太田道灌は江戸の災守りとして氷川社を篤く崇敬したことより勧請説(文明1469~1487)もあります。
麻布氷川社は 江戸徳川将軍の尊信も篤く、四方絶景で遠く富士山も眺望できし社ゆえに
鷹狩りや遠出した将軍もしばしばご参拝されました。
また二代将軍・秀忠の正室であった浅井江(父・長政、母・お市の方)氏が安産祈願をし、
誕生した三代将軍・家光誕生の守護神であります。
1992年当時社会旋風をおこしたアニメ“美少女戦士 セーラームーン”の「火川神社」巫女・火野レイが
住んでいる神社のモデルとなりました。一大社会現象となるアニメと神社とのコラボレーションの先駆けといえます。
アニメ“美少女戦士セーラームーン”の聖地として、
今日では、国内のみならず外国から訪れている。
7.宝珠院
芝公園
宝珠院は、
増上寺第三十世貫主生譽靈玄大僧正が、閻魔王と共に白蓮池の辨才天女を勧請、別当寺として貞享2年(1685)に創建したといいます。港区七福神の一つとなっている弁財天は、三井寺を開山した智証大師が858年に竹生島で彫刻、源頼朝や徳川家康の崇敬を受けたといいます。
巳の日は御朱印を頂くために長蛇の列ができている。
こちらは三すくみ(三竦)でも有名。
蛇はナメクジを、ナメクジは蛙を、蛙は蛇を恐れるということから、 三者互いに牽制し合って、 いずれも自由に行動し得ぬこと」–広辞苑
全ては回って無駄はないとの事です。
今日も最後までお読み頂きありがとう御座います。
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